現代日本〈映画-文学〉相関研究会

Studies in Correlation between Modern Japanese Cinema and Literature

第4回 現代日本〈映画-文学〉相関研究会 開催のお知らせ(終了)

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【研究発表】

後期小津映画と原作をめぐって
早稲田大学助手     宮本 明子
アルカイスムと前衛性 ―篠田正浩監督の『心中天網島』―
北海道大学大学院教授  中村 三春
1970年代の『獄門島』映像化作品について
甲南女子大学准教授   横濱 雄二

【ラウンドテーブル】

川端康成と女性文芸映
立命館大学教授     中川 成美
ジャンルと国境の横断 ―安部公房『闖入者』『友達』について―
信州大学助教      友田 義行
カレル・ゼマン宮崎駿
専修大学准教授     米村みゆき
ゴジラ』の軌跡 ―香山滋からGodzilla, King of the Monsters!まで―
二松學舍大学非常勤講師 志村三代子
(発表要旨は「続きを読む」をクリック)


【発表要旨】

後期小津映画と原作をめぐって
宮本 明子

 映画『晩春』(1949年)について、小津安二郎は「広津和郎の作を読むうち全然違ったアイデイアが生れ」たと語っている。その顕著な事例として、原作と映画とでは結末が明らかに異なっている。「父と娘」では、父親が「再婚する」という「嘘」を翻して真実としてしまう。すなわち、相手の女性にみずから結婚を申し込んでしまう。これに対して、『晩春』の父親は、再婚話は娘を結婚させるための方便であったことを、娘の友人に語ってみせる。
 『晩春』以降、小津が監督した映画には、原作を映画化した事例として『宗方姉妹』(1950年)や『彼岸花』(1958年)、『秋日和』(1960年)がある。それぞれ制作背景は異なるが、内容は原作と似て非なるものとされてきた。『晩春』の結末など、それをよく示しているだろう。しかし一方で、映画が原作に依拠する部分があったとすれば、それは何だろうか。『晩春』以後、「娘の結婚」という主題が繰り返し提起されてゆくことをふまえながら、後期小津映画と原作とのかかわりを考察する。

アルカイスムと前衛性 ―篠田正浩監督の『心中天網島』―
中村 三春

 低予算のATG映画として製作された篠田正浩監督『心中天網島』(1969、表現社・日本ATG提携作品)は、戦後日本映画で競って行われた近世文学の映画化において、溝口健二監督の『近松物語』と双璧をなす傑作である。これは近松門左衛門浄瑠璃『心中天の網島』を物語上の原作とするのみならず、映像に歌舞伎・人形浄瑠璃の黒子(黒衣=くろこ・くろご)を登場させ、舞台となる壁や格子で仕切られた部屋の空間もまた芝居の舞台を思わせる。予算の制約の外にいわば意図的な様式的制約である近世演劇的な要素を復活導入し、他方では武満徹の音楽、粟津潔の美術と当代きっての前衛芸術をも融合して、類い稀な様式美を実現した。本発表では浄瑠璃と脚本・映画を原作論の観点から検証するとともに、このような一種のアルカイスム(擬古典化)の手法と前衛性との結びつきを、映像・音楽の面をも加味して評価し、合わせて篠田監督の作風とも結びつけることを試みる。

1970年代の『獄門島』映像化作品について
横濱 雄二

  金田一耕助シリーズの代表作である横溝正史獄門島』(岩谷書店、1949年)は、作品完結直後に最初の映画が公開されたのを皮切りに(東横、片岡知恵蔵主演、松田定次監督、前後編)、現在まで都合6度映像化されている。このうち、1970年代のいわゆる第二次横溝ブームでは、1977年に東宝から映画が公開される一方(東宝石坂浩二主演、市川崑監督)、テレビドラマも放映された(毎日放送古谷一行主演、齋藤光正監督)。その後は90年(フジテレビ、片岡鶴太郎)、97年(TBS、古谷一行)、2003年(テレビ東京上川隆也)の3度テレビドラマ化されている。本発表では、このうち1970年代の映像化作品2つを取り上げ、原作小説との相違点を踏まえつつ、第二次横溝ブームに関する言説などを参照しながら、比較考察を試みる。

川端康成と女性文芸映
中川 成美

 川端康成がその出発期から新しい表現形態としての映画に注目していたのは、新感覚派映画連盟の設立と、衣笠貞之助監督作品である『狂った一頁』の原作、脚色に参加したことからも了解される。また川端作品が日本映画にとって女性文芸映画の主要な供給先となって、一つの潮流を形成していたことも、川端と映画の類縁性を考える上に重要なポイントである。
 しかしながら、戦後映画の全盛期における川端作品の映画化が、ある種の女性文芸映画からの逸脱を示していたこともジャンルとしての女性文芸映画を考える上に考慮しなければならない。女性文芸映画の主要な監督たちによって川端作品は陸続と映画化され、日本映画の遺産となっているが、成瀬巳喜男の『舞姫』(1951)、『山の音』(1954)、吉村公三郎千羽鶴』(1953)、島耕二『伊豆の踊り子』(1954)衣笠貞之助川のある下町の話』(1955)、豊田四郎『雪国』(1957)など、一流の監督らとスターたちによって作られたこれらの作品の女性文芸映画からの逸脱について考えてみたい。

ジャンルと国境の横断 ―安部公房『闖入者』『友達』について―
友田 義行

 安部公房が1951年に発表した小説『闖入者』は、1967年に戯曲『友達』となって青年座で上演され、
さらに1974年に改訂されて安部公房スタジオでも上演された。そして1988年にはスウェーデンの映画監督シェル―オーケ・アンデションによって映画化されている。40年近くにも渡って、ジャンルと国境を越えて改作されていったこの作品の変貌を、『他人の顔』や『燃えつきた地図』といった安部公房の他作品や、勅使河原宏監督の映画とも比較しながら辿ってみたい。

カレル・ゼマン宮崎駿
米村みゆき

 チェコのアニメーション監督、特撮映画のカレル・ゼマン(1910―1989)は、その映画『盗まれた飛行船』 (1967) 制作にあたり『十五少年漂流記』を取り入れるなど、ジュール・ヴェルヌの影響が強い。宮崎駿も『天空の城ラピュタ』(1986)の映画パンフレット等でヴェルヌについて言及している。ゼマンと宮崎映画にみえる冒険心や想像力を見る限り、両者の志向性など共有する部分が多い。SFや特撮のブームを文脈に入れつつ、両者を比較、検証してゆきたい。

ゴジラ』の軌跡 ―香山滋からGodzilla, King of the Monsters!まで―
志村三代子

 周知の通り、1954年に公開された『ゴジラ』は核戦争の恐怖や不均衡な日米関係を内包していた冷戦時代に必然的に生み出された怪物であるが、日本映画の海外進出の草創期に「輸出」されたコンテンツでもあった。発表では、香山滋の脚本、映画『ゴジラ』、1956年にアメリカで公開するにあたって「編集」されたGodzilla, King of the Monsters!におけるそれぞれの異動を分析し、テキストの移動によって派生した複合的な意味を考察する。