現代日本〈映画-文学〉相関研究会

Studies in Correlation between Modern Japanese Cinema and Literature

公開シンポジウム「《交響する》現代日本における映画と文学」開催のお知らせ(終了)

情報更新 2015年11月10日

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~公開シンポジウム 《交響する》現代日本における映画と文学~

【シンポジウムI 〈再考・戦後日本の文芸映画〉】

意想外なものの権利 ―今井正監督の文芸映画―               
北海道大学大学院教授    中村 三春

視覚化される『雁』の世界 ―高峰秀子若尾文子のパフォーマンスをめぐって―
日本学術振興会特別研究員(東京大学)   北村 匡平  
『宗方姉妹』における娘の「演技」と「投げる」こと
東京工業大学助教    宮本 明子

「女性文芸映画」という問題系 ―文学と映画の出会う場所―
立命館大学教授    中川 成美
▽ディスカッサント           
早稲田大学非常勤講師      谷口 紀枝
【シンポジウムII 〈都市とメディア・ミックス:映画と文学の協働〉】

映画のなかの〈浅草〉
都留文科大学准教授    志村三代子

文学と映画の交響から残響へ―安部公房勅使河原宏
信州大学助教    友田 義行

過去の残響―金田一耕助映画とノスタルジアの視線―
甲南女子大学准教授    横濱 雄二

享受による再現実化―ジュール・ヴェルヌから宮崎駿へ―
専修大学教授    米村みゆき
▽ディスカッサント           
甲南女子大学非常勤講師     萩原由加里
(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

《発表要旨》

【シンポジウムI 〈再考・戦後日本の文芸映画〉】

意想外なものの権利 ―今井正監督の文芸映画―
北海道大学大学院教授    中村 三春

 沖縄戦の悲劇を伝える『ひめゆりの塔』(1953)、 八海事件の冤罪を告発した『真昼の暗黒』(1956)、あるいは差別問題に肉迫する『橋のない川』(1969、70)などから、今井正監督は一般に、「社会派」「リアリズム」映画の作り手とされている。そのことに間違いはないだろう。だが、そのような紋切型の見方が、今井監督の現代的な再評価を妨げてきたことはないだろうか。あにはからんや、学園の民主主義啓蒙とされてきた『青い山脈』(1949)にも、一葉の名作を現代に再生したとされる『にごりえ』(1953)にも、意想外なショットが含まれていた。戦後のルン・プロを描いた『どっこい生きてる』(1951)や群馬交響楽団を取り上げた『ここに泉あり』(1955)は、あたかも不条理劇のようであり、それは『武士道残酷物語』(1963) や『仇討』(1964) にも通じる要素である。この報告では、『また逢う日まで』(1950)や『山びこ学校』(1952)、さらに『夜の鼓』(1958)などを含め、主として1960年代までの今井映画を対象として、文芸と映画の交錯点において、改めてその様式性を掬い上げたい。

視覚化される『雁』の世界 ―高峰秀子若尾文子のパフォーマンスをめぐって―
日本学術振興会特別研究員(東京大学)   北村 匡平

 明治日本の封建的社会を描いた森鴎外の『雁』は、占領期の映画化の「挫折」(渋谷実演出、松竹)を経て、二人の大女優、高峰秀子豊田四郎監督、1953)と若尾文子池広一夫監督、1966)主演で映画化される。これらの映画は、原作と大きく異なる点が見出される成沢昌茂のシナリオをもとに製作されている。とりわけ、成沢が「映画の技術的な問題」で付け加えたというラストシーンにおける、異なる演出を施された高峰秀子若尾文子のパフォーマンスによって、二つの作品は全く異なる物語として成立している。本発表は、原作がはらむ語りの「視点」や「時間」の問題が、映画というメディアで語られることで、ナラティヴにどのような効果をもたらしているのか、シナリオ作家が持ち込む装置を二つの映画がいかに映像化するかを検討し、「すれ違い」のドラマを演じる高峰秀子若尾文子のパフォーマンスと時代性について考察することで、複数のアクターの実践をとらえることを目的とする。

『宗方姉妹』における娘の「演技」と「投げる」こと
東京工業大学助教    宮本 明子

 小津安二郎監督『宗方姉妹』(1950)は、『晩春』(1949)や『彼岸花』(1958)、『秋日和』(1960)のように、娘の結婚を結末に据えるものではない。姉妹のうち、妹を演じる高峰秀子の振舞いはいくぶん誇張され、姉とは対照的な妹の奔放さを現している。以上の点から、小津の他の原作映画化の事例と並べて語られることの少なかった『宗方姉妹』について、高峰秀子演じる妹の「演技」と「投げる」行為に注目し、その特徴を考察する。かつての姉の恋人を前に試みられる「演技」は、後の『彼岸花』や『秋日和』に通じる、後期の小津の特徴を示しているといえるだろう。一方、彼女がものを「投げる」行為は、『晩春』以降の小津の映画の娘たちが掌のものを宙に投げてみせることとは大きく異なっている。原作や他の作品との比較から明らかになるこれらの事例を通じて、改めて『宗方姉妹』を戦後の小津の原作映画化、様式化の過程にどのように位置づけられるのか考察する。

「女性文芸映画」という問題系 ―文学と映画の出会う場所―
立命館大学教授    中川 成美

 文芸映画が文学に原作を持つ映画という解釈をするならば、女性文芸映画とはどのように説明すればいいのだろうか。女性が主人公の文芸映画、女性の問題を主たるテーマとする文芸映画、あるいはスター女優が主演する文芸映画といったような解釈が出来るものの、確定的な規定は出来ない。このすべての要素がはいっている表現だと言えるかもしれないが、どこかそれだけでは不十分な気がする。どことなくこの言葉には軽く見るような雰囲気も混入している。
 昭和30年代によろめきドラマやメロドラマなどが大衆的な人気を獲得したが、それらのストーリーソースが三島由紀夫の「美徳のよろめき」をはじめとする文学作品であったことも見逃せない事実である。またフェミニズムの到来とともに『女性映画」という範疇は大きく変化し、女性監督の登場や、フェミニズム理論の実験場として機能したのである。
 1930年代に松竹女性映画から70年前後のロマンポルノまでの期間にある日本映画に確実にあった女性文芸映画という象徴的映画表現の諸相と、その問題系を探ってみたい。

【シンポジウムII 〈都市とメディア・ミックス:映画と文学の協働〉】

映画のなかの〈浅草〉
都留文科大学准教授    志村三代子

 浅草は、戦前は東京随一の歓楽街であり、1903年に最初の映画常設館である電気館を当地で開館するなど、草創期の映画産業と関わりが深かった。流行発信地としての役割も担っていたが、戦後はその地位を銀座や新宿、渋谷等に譲ってしまった。
 浅草を描いた映画が興味深いのは、1930年代の作品ですら、物語に過度のメロドラマ性が指摘されていたことである。そうしたメロドラマ性は、戦後になると、浅草レビューの踊子に象徴される喧騒と猥雑さにあふれた「かつての浅草」というノスタルジアを召喚する空間として機能することになった。
 本発表では、浅草を描いた映画を、関東大震災以前、第二次世界大戦以前、以後の三期に分類し、それぞれの特徴を概観する。具体的には、『乙女ごころ三人姉妹』(1935)『浅草の灯』(1937)『浅草物語』(1953)『踊子』(1957)『浅草の灯 踊子物語』(1964)を題材に、浅草という特定の地域の盛衰が、それぞれの映画作品においてどのように想像されてきたのかを、永井荷風川端康成などの浅草を愛した文学者や周辺メディアとの連携を考慮しながら検証していきたい。

文学と映画の交響から残響へ―安部公房勅使河原宏
信州大学助教    友田 義行


 安部公房勅使河原宏の映画的協働は、1970年の大阪万博で幕を下ろす。『おとし穴』(1962)から『1日240時間』(1970)まで、安部の原作・脚本を得て制作された勅使河原の映画作品は、戦後文学史ならびに映画史における文学と映画による協働の、最も幸福な結実といえよう。だがその後、安部は活動の主軸を小説と演劇へと移し、勅使河原も安部からの独立を図っていく。しかし、二人が展開した言語と映像の交響は、協働の組み合わせを変えつつも、様々な形で作品を構成していったのではないだろうか。たとえば、ジョン・ネースン脚本の『サマー・ソルジャー』(1972)には安部文学の「脱走」のテーマが、シェル-オーケ・アンディション監督の『友達』(1988)には安部文学の原初的道具(糸や箱)が忍び込んでいると同時に、勅使河原映画の鏡像が散りばめられている。協働の「残響」とも呼べる、こうした文学的要素・映画的要素をたどり直したい。

過去の残響―金田一耕助映画とノスタルジアの視線―
甲南女子大学准教授    横濱 雄二

 1970年代は、ミステリ映画にとって黄金期であった。とりわけ1975年『本陣殺人事件』(高林陽一監督)以降、横溝正史金田一耕助ものは次々と映像化された。市川崑は『犬神家の一族』(1976)を皮切りに『悪魔の手毬唄』(1977)『獄門島』(同)『女王蜂』(1978)『病院坂の首縊りの家』(1979)を世に出した。このほかにも、野村芳太郎が『八つ墓村』(1977)、斎藤光正が『悪魔が来りて笛を吹く』(1979)、大林宣彦が『金田一耕助の冒険』(同)を撮り、篠田正浩の『悪霊島』(1981)がブームの掉尾を飾ることとなった。これらのうち『本陣』と『悪霊島』は映画で回想の枠物語が付与され、市川崑の一連の作品および『八つ墓村』には日本の過去の風景を描く意図を見て取ることができる。一連の作品を対象に、1970年代のディスカバー・ジャパンあるいは昭和ノスタルジアの原型ともいえる、こうした回顧の視線をとりあげてみたい。

享受による再現実化―ジュール・ヴェルヌから宮崎駿へ―
専修大学教授    米村みゆき

 宮崎駿監督『天空の城ラピュタ』(1986)の台本、『崖の上のポニョ』(2004)の劇場用パンフレットには「SFの始祖ジュール・ヴェルヌ(1925~1905)の活躍した時代」、「『海底二万リーグ』(1869)に登場する潜水艦、ノーチラス号の唯一のアジア人」という記載がみえ、ジュール・ヴェルヌへの言及がある。『天空の城ラピュタ』の影響が色濃く見受けられるNHKテレビアニメ『ふじぎの海のナディア』(総監督・庵野秀明 1990-1991、全39話)も『海底二万里』『神秘の島』を原案とする。宮崎映画に登場する飛行器具と想像力を共有している映画としてチェコのアニメーション監督カレル・ゼマンの『盗まれた飛行船』(1966)をあげることができるが、同作も『月世界旅行』『海底二万里』とヴェルヌの小説を素材としている。本発表では、同時代的な影響関係ではなく、其々の時代、環境の読者によって消費、再生されてきたいわば読者の反応史に関心を寄せる。ヴェルヌという視角を持つことで、宮崎映画は何をどのように受容し、拒絶し、再現実化しているのか探ってゆきたい。