現代日本〈映画-文学〉相関研究会

Studies in Correlation between Modern Japanese Cinema and Literature

2015年度日本近代文学会秋季大会 パネル発表のお知らせ(終了)

  • 日時 2015年10月25日(日)14時~16時30分
  • 会場 金沢大学角間キャンパス 人間社会第一講義棟 301教室

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日本映画と日本近代文学とのコラボレーション
―戦後から七〇年代まで―

司会・基調報告 中村三春
パネリスト 宮本明子・志村三代子・横濱雄二
ディスカッサント 米村みゆき

1)今井正と戦後の文芸映画―『青い山脈』から『にごりえ』まで―
北海道大学大学院教授 中村 三春

2)〈演出者〉としての里見弴―『早春』を手がかりに―
東京工業大学助教 宮本 明子

3)文芸映画における川端康成作品の位置づけ―『古都』(一九六三、一九八〇)を中心に―
都留文科大学准教授 志村三代子

4)野村芳太郎監督『八つ墓村』とその周辺
甲南女子大学准教授 横濱 雄二

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発表主旨・要旨

 日本映画の黄金時代とされる一九五〇年代には、二千作に及ぶ映画が日本文学を原作とし、また五〇年代から七〇年代にかけては、文学界と映画界との協働も盛んに行われた。当研究グループでは科研費を受けて、過去三年間に亙りこの時代における日本映画と日本文学との相関について共同研究を進めてきた。今回はその成果報告として、戦後から一九七〇年代までの映画史的な展開を背景として、現代日本映画において、日本近代文学がどのように機能し、位置づけられるのかを多面的に究明してみたい。

 一九四五年の終戦後において、映画界は、CIEの検閲政策、レッド・パージ、東宝労働争議などの激動に見舞われた。基調報告を担当する中村三春は、今井正と戦後の文芸映画―『青い山脈』から『にごりえ』まで―」と題して、この渦中にあって、『青い山脈』(一九四九)『また逢う日まで』(一九五〇)の大ヒットから、『どっこい生きてる』(一九五一)『ひめゆりの塔』(一九五三)などの社会派作品とともに、『にごりえ』(同)の結実を果たした今井正監督の軌跡を追い、併せて、脚本家水木洋子の評価を問い直すことにより、本パネル全体の導入とする。

 続く一九五〇年代には、映画館・入場者数が増大し、溝口健二黒澤明豊田四郎ほか多くの監督によって、古今の文学を原作・題材とする映画が量産された。また、『羅生門』(一九五〇)のヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞を契機として、海外市場をも視野に入れた製作が展開される。宮本明子「〈演出者〉としての里見弴―『早春』を手がかりに―」と題して、小津安二郎監督作品と文学との関わりを探る。小津は戦後、『晩春』(一九四九)『宗方姉妹』(一九五〇)『彼岸花』(一九五八)『秋日和』(一九六〇)などの文芸原作映画を製作したが、その様式化される過程に関与した作家として里見弴が挙げられる。『早春』(一九五六)の台詞に大幅な加筆修正を提示し、その著作は複数の映画に「拝借」されていた。それらの助言や著作はいかに映画に取り込まれたのか。里見が加筆修正を行った「『早春』修正入台本」の実態、および小津の語った「拝借」の事例を整理しながら、単に原作の映画化という枠に収まらない監督と作家による協働の様相と、その意義を考察する。

 一九六〇年代は、TVの本格的な台頭により、徐々に七〇年代の停滞期に向かう斜陽期とされる。だが各社は任侠映画・アクション映画などのプログラム・ピクチャーを量産し、TVでは不可能な映画独自の表現を開拓した。女性観客をターゲットとした文芸映画では、一九五〇年代作品のリメイクが試みられ、とりわけ川端康成原作の作品は人気が高く、『伊豆の踊子』(六回)、『雪国』(二回)、『千羽鶴』(二回)などが公開された。志村三代子「文芸映画における川端康成作品の位置づけ―『古都』(一九六三、一九八〇)を中心に―」と題して、四十作に上る川端の映画化作品を整理し、原作のアダプテーションとリメイクの観点から、二つの『古都』を取り上げる。原作が描いた京都西陣の呉服問屋、北山杉の景観、美しい双子(分身)といった諸要素は日本映画が得意とした分野であった。具体的には、カラー映画が一般的となった一九六〇年代の日本映画における、原文の色彩化に注目する。加えて、日本映画の凋落が決定的になった一九八〇年版と、スタジオシステムが機能していた一九六三年版との比較を行うことで、文芸映画におけるアダプテーションとリメイクの意味を再考したい。

 さらに一九七〇年代は、TV文化の隆盛を背景として、日活ロマンポルノ東映やくざ映画、ATGなど、映画界の多様化が一層進行した。特に七〇年代後半は、第二次横溝正史ブームであると同時に、ミステリ映画のブームでもあった。一九七五年の高林陽一による『本陣殺人事件』映画化を皮切りに、横溝のミステリ小説が次々に映像化された。市川崑による『犬神家の一族』(一九七六)に始まる一連の作品が名高く、野村芳太郎の『八つ墓村』(一九七七)その他の作品があり、角川映画も『人間の証明』を始め多くのミステリ映画を製作した。横濱雄二野村芳太郎監督『八つ墓村』とその周辺」と題してその様相を追究する。野村の『八つ墓村』は同監督の『砂の器』(一九七四)にも繋がる血の宿命に力点を置き、ミステリというジャンルにとどまった原作に対し、ミステリの枠組みから逸脱している。これら二作ともに原作から結末が変更されていることも興味深い。諸作品の相関関係を検討するとともに、ミステリ小説と映画の差異についても考究してみたい。

 ディスカッサントの米村みゆきは、この時期のアニメーション映画の動向についても補足する。日本近代文学と映画との交流・協働に関心を持つ多くの会員諸氏から、当共同研究に対する理論面・実践面に亙る忌憚のないご意見・ご助言をいただければ幸いである。