現代日本〈映画-文学〉相関研究会

Studies in Correlation between Modern Japanese Cinema and Literature

第2回 現代日本〈映画-文学〉相関研究会 開催のお知らせ(終了)

2013年12月3日更新(会場)

【研究発表】

プロキノと東京市電争議―映画『全線』と小説『伸び行く女性線』―
立命館大学大学院研究生 雨宮 幸明

1970年代の『本陣殺人事件』映像化作品について
甲南女子大学講師    横濱 雄二

宮崎駿監督『未来少年コナン』とアニメ・ファンダム
専修大学准教授     米村みゆき

【特別研究発表】

吉川英治の映画 ―1920年代から1950年代への連続/不連続
立命館大学映像学部教授 冨田 美香

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【発表要旨】

プロキノと東京市電争議―映画『全線』と小説『伸び行く女性線』―
雨宮 幸明

 プロキノは1929年に発足し1934年に弾圧によって解散した団体であり、独自の映画制作により社会矛盾を告発した。現存する映画『全線』は1932年当時の東京市電争議を題材とし、交通労働者への解雇案をめぐり労使が激しく対立する様子を描いている。この映画の前身としてプロキノ機関紙『映画クラブ』に1931年11月から1932年2月まで5回に渡り連載された短編小説『伸び行く女性線』が存在する。この小説は交通労働者からの投書によって発案され、プロキノによる制作企画のもと同盟員上村修吉によって執筆されたが、その映画化は未完に終わる。その後1932年11月に完成した映画『全線』と小説『伸び行く女性線』には共通するいくつかの主題が確認されるが、両者の関連性は未だ詳細に検証されていない。本発表はこれらプロキノの映画製作と小説連載の関連性を考察し、それらがどのような表現を生み出したかを検証するものである。

1970年代の『本陣殺人事件』映像化作品について
横濱 雄二

 横溝正史『本陣殺人事件』は、1970年代に映画(中尾彬主演、ATG、1975年)とテレビドラマ(古谷一行主演、TBS、全3回、1977年)の二度にわたって映像化されている。どちらも先行作品である映画『三本指の男』(1947年)とは大きく異なり、トリックなどは原作小説に忠実な映像化がなされているように見えるものの、子細に検討すると登場人物の性格や事件に果たす役割などに相違が見られる。また、1975年から77年は、いわゆる横溝正史ブームが始まった時期でもあり、その間には市川崑金田一耕助物の第一作である映画『犬神家の一族』(石坂浩二主演、角川春樹事務所、1976年)が公開されている。本発表でまず原作小説、ATG版、TBS版の相違点を明らかにしたうえで、三者それぞれが置かれた時代状況や横溝正史ブームについても考慮しつつ、それらが複合するメディアミックス状況を明らかにしたい。

宮崎駿監督『未来少年コナン』とアニメ・ファンダム
米村みゆき

 1977年劇場版『宇宙戦艦ヤマト』を観るために、徹夜して並ぶ人たちがいた。「漫画映画」を観るために並ぶ中高生のアニメファンの登場であり、『機動戦士ガンダム』へと続く新たなアニメブームの到来である。一方、1970年後半から80年代にかけてのテレビアニメーション、再編集版映画、劇場公開映画、OVAを概観するとき、共通あるいは類似するモードが反復されていることに気づく。“地球への郷愁”である。たとえば、押井守監督『ダロス』(1983)は西暦2082年の設定、月面開拓計画が進み月で生れた世代が台頭するが、主人公の祖父は地球を遠くに見ながら「もう一度帰りたかった、あたたかい地球」と言う。この反復されたモードを下支えしているのは、SFジャンルの黙示録的な想像力や当時の公害問題等と想定されるが、アニメ雑誌の隆盛にみえるアニメ・ファンダムとも密接な関連性がある。「漫画映画」をめざした宮崎駿監督『未来少年コナン』(1978)は、アレクサンダー・ケイの原作を参照するとき、同時代のアニメが提供するモードに縛られていた側面と日本人にとっての〝アキレス腱〟を逃れた側面の二つの様相を見せている。

吉川英治の映画 ―1920年代から1950年代への連続/不連続
冨田 美香

 1952年から1955年にかけて、日本映画界は、GHQの検閲からの解放、二本立て興行と垂直統合の再編成、カラー化と海外展開へと、一気に戦後復興から拡大路線へと向かっていった。その中で強い存在感を放ったのが、吉川英治である。彼の「剣難女難」「鳴門秘帖」「神州天馬侠」「万花地獄」「ひよどり草紙」といった、1920年代後半の剣戟映画人気を促進した連載伝奇小説群は、再び堰を切ったように映画化され、剣戟映画復活の嚆矢となった。と同時に、1936年以降繰り返し映画化されてきた「宮本武蔵」が東宝で、当時連載中の「新・平家物語」が大映で、いずれも両社の天然色映画を代表する大作シリーズとして映画化され、1955年には彼の映画は、16本も公開される状況に至っている。
 本報告では、上記の作品を対象に、その背景を概観したうえで、再映画化作品については作品様相について、カラー映画については色彩表現について、戦前と戦後の連続/不連続の観点から考察する。